DMMグループの一番深くておもしろいトコロ。
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「人生最後の日、走馬灯にはDMMの日々が映し出されるだろう」——セールス濵田宏文が、DMMを推す理由

DMMグループの一番深くておもしろいトコロ。

  • 濵田 宏文(はまだ ひろふみ)エンターテイメント本部 セールスプランニング部

    PCソフトメーカーで流通に関する営業、アパレルメーカーでイベントや販促に関する企画営業、ブライダル業界で広告営業を経てDMM.comへ入社。現在はセールスプランニング部にてエンタメを中心にDMMのサービスを複合したアライアンス営業で様々な業界との折衝を行なっている。

DMM.comで活躍するキーパーソンのキャリアを紐解き、DMM.comという会社の中でキャリアを築く方法論について明らかにしていく連載シリーズ「チャレンジあるところにチャンスあり DMM式キャリア道」。今回はセールスプランニング部・濵田宏文さんにインタビュー。

大手企業を渡り歩いてきた営業のプロが、DMM.comを推す理由とは?——これまでのキャリアヒストリーと営業哲学を聞きました。

 

キャリアの原点は、勝てない悔しさ

 

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濱田さんのファーストキャリアは、PCソフトメーカーだとお伺いしています。まずは、ファーストキャリアを選んだ経緯についてお聞かせください。

 

濵田:大学時代に教授が繰り返し言っていた、「社会人は最初の3年で決まる」という考え方に影響を受け、「目が回るほど忙しい環境で限界まで成長しよう」と、新卒から打席に立てるベンチャー企業を探していました。

数あるベンチャー企業の中でもPCソフトメーカーを選んだ理由は、当時徐々にIT業界が盛り上がっていたことが大きいな理由です。“ホリエモン”こと堀江貴文さんが率いるライブドアが話題になるなど、当時はITベンチャーに世間の注目が集まっていました。

実際に面接を受けに行くと、一緒に仕事をしてみたいと思える魅力的な方が多かったので、他の会社を受けることなく内定を承諾し、ITの世界に飛び込みました。

 

入社後の経験についても詳しく教えていただきたいです。

 

濱田:正社員として入社する以前から、内定者インターンシップとして働かせてもらいました。出社してすぐ、デスクの上に自分の名刺が用意され、上司から「明日から営業に行ってきていいよ」と言われたことを覚えています。名刺の渡し方すら分からないまま、自分なりに営業トークを考え、あくせくしながらサービスを売り込んでいましたね。

それでもなんとなく営業の感覚を掴むことができ、そこから成績が一気に伸びました。実は、インターン時代に全社MVPを獲得しているんです。

自分が大学に行っていて出社できないときにも売上をつくるために、コールセンターの方に話し方と送付資料のマニュアルを作成したところ、学生ながら数千万円の売上をつくることができました。

 

学生にして、大きな成果を残されていたんですね。その後も順調に成果を上げていったのでしょうか。

 

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濱田:新卒入社後の営業研修でも、ぶっちぎりで営業成績一位を獲得できたので、正直「自分は仕事ができる」と思っていました。しかし、それは大きな勘違いだったんです。

いざ配属されてみると、先輩たちについていくことができず、自分の考えを必死に伝えようとしても、ポカンとされてしまう。頭の回転が遅くて、そもそも仕事にならなかったんです。これまでは自由にやらせてもらっていましたが、いざ責任ある仕事を任されてみると、自分のレベルの低さを思い知りました。

当時の先輩は、天狗になっていた私の鼻を、いい意味で折ってくださいましたね(笑)。

 

当時の挫折経験は、濱田さんのキャリアにどう影響しているんでしょうか。

 

濱田:「自分は賢くない」と、勘違いがなくなったのはいい経験でした。結果が出て有頂天になっていたけど、上には上が山ほどいる。だから、その差を埋めるために“自分の勝ち方”を探そうと必死になれたんです。

そうやって差を埋めようと食らいついているうちに、自ずと個人売上も上がっていきました。「正攻法で戦っても、周りには勝てない」と悟ったことが、営業としての礎になっています。

 

先輩の一言で、再び息を吹き返す

 

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その後、大手アパレルメーカーに転職されています。経緯について、お聞かせください。

 

 

濵田:転職のきっかけは、先輩が連れていってくれた、とあるアーティストのライブです。食事にしても買い物にしても、行列に並ぶのが大嫌いな私は、物販コーナーにできていて長蛇の列に衝撃を受けたんです。売られているもの自体に興味はなかったのですが、「こんなに並んでまで、人が欲しいと思うモノってなんだろう」ということには興味津々でした。

そこで実際に商品を購入し、タグについていた製造会社に「一度面接してもらえませんか?」とその場で電話をかけました。「並んでまでも買いたいものを、売ってみたい」と、心が動いてしまったんです。

 

思い切ったアクションですね…!

 

濵田:最初は「採用はやってない」と断られたのですが、「会わないともったいないですよ」と交渉したところ、幸いにも機会をいただき、無事に採用していただきました。

前職に退職する旨を伝える以前の衝動的な行動でしたが、それでも選択を間違ってはいなかったと思います。それまでは「必要だから買ってもらう」営業をしてたので、お客様の心からの笑顔をみる機会はそう多くありませんでした。しかし転職後の仕事は、商品を手にして満面の笑みを浮かべるお客様を想像しながら働くことができる。

仕事に対するイメージがガラッと変わりましたし、個人商店から上場企業まで幅広いお客様を担当できたので、経験からしか学べないノウハウを蓄積できたと思います。

 

その後、ブライダル事業を運営する大手企業に転職されていますが、きっかけはありますか?

 

濵田:結婚する際に、妻と「子どもを田舎で育てる」という約束をしていたからです。幸いにも、大手アパレルメーカーのみなさんから「いつでも戻っておいで」と言ってもらえたので、妻の地元である熊本県で子育てをしながら働くことを決めました。

東京に比べたら求人の少ない熊本県ですが、その会社なら自分のスキルを活かして働けるイメージが湧きました。とにかく働き口を探すことに必死だったので、自分が結婚情報誌の営業を担当するとは、全く想像もしていなかったです。

 

入社後、モチベーションが降下しています。

 

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濵田:転職してまもなく、熊本地震が発生してしまったんです。一人で担当を任せてもらい、大型の契約が決まったタイミングのことでした。契約が全て流れ、転職早々、働くにも働けない状況になってしまいましたね。当時は流石に、仕事を頑張るモチベーションを失ってしまいました。

復興が進むに連れ、なんとか売上を戻すことはできたものの、失ったモチベーションを取り戻すことはできなくて。そこで、次のステップを考え始めるようになったんです。

そこで思い出したのが、PCソフトメーカー時代の上司だった先輩が在籍する、DMM.comです。先輩にはすぐに、転職を考えている旨を連絡しました。

 

しかし返事は予想外で、「結果を出していないなら採用されないと思うよ」と振られてしまったのです。……また天狗になっていることを思い知らされました。ある程度は結果を残せていましたが、それにかまけてガムシャラさを失っていたんです。

ただ、先輩の言葉は気合いを入れ直すきっかけにもなりました。どんな場所でも結果を出せる人材になろうと、今まで経験則でやってきた営業フローを体系的に学び直したんです。

すると多くの気づきが得られて、感覚で行っていた営業フローに再現性が生まれ、数々の賞をいただくなど息を吹き返すことができました。

 

営業という仕事の本質は「喜び」にある

 

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結果を残したタイミングで、DMM.comに転職する決意をされたんですね。

 

 

濵田:そうですね。最終的には先輩どうこうというより、会社の魅力に惹かれて転職を決めています。

当時から全く異なる領域の事業が立ち上がっていて、「なんでDMM.comが?」という驚きがありました。とにかく、普通の会社ではないということが伝わってきたんです。

また先輩の姿を見ていて、裁量が大きいことも分かっていました。提案先も販売方法も自分で決められる自由度の高さが伺えたんです。その分責任も大きいですが、ヒーローになるチャンスがあることは間違いないと感じていました。

新しい技術を活用したサービスもどんどん立ち上がるので、仕事に飽きる日もなく成長し続ける。そんな期待も持っていましたね。

 

営業パーソンとして、環境に魅力を感じられていたんですね。現在の業務についても教えてください。

 

濵田:セールスプランニング部に所属し、主にエンタメ系サービスの営業を担当しています。毛色の異なる10以上の事業に入り込み、それぞれ営業戦略を事業部と一緒に構築するところからサポートしていますね。

 

異なるサービスを同時に営業しているんですね。自分が深く関わっているわけではないサービスを扱うのは、それだけで難しいように感じます。意識していることはありますか?

 

濵田:「どうやって売上をつくるか」。シンプルですが、常にこれを意識しています。

人がお金を出して買いたいと思うのは、サービスやモノがあることで、「嬉しい」とか「助かる」とか、喜びの感情が得られるときです。ですから、「どうやって売るか」ではなく「どうしたら喜んでくれるか」を考え抜くことが必要なんです。

 

営業するサービスに、こだわりがありません。どんな商品でも、人を喜ばせることができるなら、僕にとっては同じなんです。セールスプランニング部は多くの商材を扱う部署なので、僕にぴったりの環境だと感じています。

 

濵田さんの営業哲学は、どのように培われてきたのでしょうか。

 

濱田:大きく三つの段階に分けられます。

まずは、新卒で入社したPCソフトメーカーで、営業のキャリアを歩み始めたとき。行動量も圧倒的に多かったですし、得られる経験の質も高かったと思います。営業パーソンとしての考え方や、必要とされる処理速度を、3年間でみっちり身につけられたと思います。

 

続いては、アパレルメーカー在籍時。前職で身につけた営業スキルをベースに、幅広い顧客層を担当したことで多くのノウハウを蓄積できました。キャリアを深める時期だったと思います。

そして最後に、前職のブライダル事業を運営する大手企業。それまで自分の中だけで積み上げてきた営業に関する知識や経験に、名前がつけられていることを知りました。それまでほとんど実務から学んできたので、フレームワークや手法を知らなかったんです(笑)。これまでの蓄積を体系化し、どんな商材にも応用できるようになったのがこの時期でした。

 

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

 

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濵田さんから見て、DMM.comで活躍できる人材とは、どのような気質を持った方でしょうか?

 

 

濵田:「やりたい」と自ら意思表示ができ、目標の実現に対して必死になれる人です。DMM.comは、たとえ失敗の可能性があろうと、熱意があれば挑戦のチャンスを与えてくれる会社です。

たとえば、DMM.comが運営する動画サービス「PlayPic」に興味を持ち、勝手に事業計画案を提出したところ、「やったらいいじゃん」とすぐにチャンスをいただきました。今では営業統括として、サービスのマーケティングから販売までのフローを任せられています。

 

アニメ『交響詩篇エウレカセブン』に、「ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん」というセリフがありますが、まさにその言葉通り。活躍できるかできないかの分かれ目は、会社に求めたり、指示を待っているのではなく、自ら勝ち取りにいくスタンスを持っているかどうかだと思いますね。

 

濵田さんのキャリアビジョンについても、詳しくお伺いさせてください。

 

濵田:僕は「濃密な人生を送って75歳で元気に死ぬ」という人生の指針を持っています。死ぬ直前に見る走馬灯が面白くて笑ってしまったり、印象深い思い出がありすぎて、走馬灯がなかなか終わらないような人生を歩みたいんです。

そのためにも、失敗するかもしれないというだけの理由で、立ち止まっていられません。失敗も成功もすべて糧になるので、密度の高い人生を送るためにも、常にチャレンジする気持ちで仕事に臨んでいきたいです。

 

また、これから猛スピードで変わっていくであろう世の中に食らいつくために、謙虚に学び続けることも忘れないようにしたいです。新しいサービスが出てきたら、興味がなくたって触る。そうやって、どんな変化も乗りこなせるビジネスパーソンでありたいです。

 

人生のゴールがもう決まっているんですね。DMM.comで働く経験は、人生の最後に見る走馬灯にも映し出されると思いますか?

 

濵田:間違いないと思います。転職して数ヶ月ですが、過去5年分の経験をしていると感じるくらい、毎日の密度が濃い。DMM.comにいたら、営業パーソンとして、今までの5倍速で成長していけると確信しています。

まだまだDMM.comを知り尽くしていませんが、それでもすでに、会社のことが大好きです。人生の最後に見る走馬灯には、DMM.comで過ごした日々が永遠に映し出されるのではないでしょうか。


構成:古川 遥 編集:オバラ ミツフミ 写真:つるたま

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