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がん治療と仕事の両立

がん治療と仕事の両立

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山野美夕紀 DMM.com組織管理本部人事部安全衛生チーム所属(石川事業所勤務)
2000年8月入社の勤続23年目
物販事業事業部長、通販管理部マネージャー、運営部本部長、役員室マネージャーを経て、2019年より現職



金沢のシンボル「鼓門」の前にたたずむベリーショートが印象的なこの女性は、DMM石川事業所に勤務する山野。勤続22年、DMMの激動の歴史とともに、会社の成長を支えてきた功労者の一人です。

はつらつとした姿からは想像できませんが、実は彼女はがんサバイバー。治療を受けながら仕事を続け、現在は人事部の業務として病と闘う従業員のサポートにあたっています。自身の経験を活かし、治療と仕事の両立に思い悩む仲間を支えている話を聞きました。

 

従業員100名の頃からDMM支えるベテラン社員 コロナ禍でまさかのがん発覚

1965年生まれ57歳の山野がDMMに入社したのは2000年8月。亀山敬司会長が1999年11月に株式会社デジタルメディアマート(現DMM)を設立してから1年足らずの時期でした。

「HP制作の仕事からスタートし、通販事業を12〜13年やりました。会社が急拡大し、嵐のような毎日でした。」

当時はまだ従業員が100名程度。亀山会長とも直接やり取りすることが多くありました。

「通販の立ち上げ時、商品がスムーズに入らなくて、会長からは『早く入れろ!』って言われるんですけど、そんな簡単にはいかなくて…。(苦笑)DVDやアニメグッズの販売に取り組み、仕入れや返品処理の難しさに日々、直面していました」

その後、運営部の全体統括や取締役の秘書業務、そして人事と20年間、楽しく仕事にまい進してきました。

 

そんな彼女が体に異変を感じたのが、コロナ禍真っ只中の2020年11月。趣味のツーリングに会社の仲間と赴いた際、脇腹の痛みを覚えたのが始まりでした。

 

「バイクに乗りに出かけた際に脇腹に痛みを感じ、1カ月しても引かないので、『整形外科で診てもらおう』と近くのお医者さんに出向いたところ、『今、大きい病院に紹介状を書くから、その足で行ってくれ』と言われました。

 

一度目の受診では原因を特定できず経過観察となったものの、時間の経過とともに食欲不振やだるさが加速し、腹部の腫れも見て取れるようになったため、再度、病院を訪ねました。そこで初めて「婦人科も見た方がいいね」と言われ、翌日に検査をすると、医師から告げられたのは「卵巣がん」でした。

 

ステージ4のがん発覚

「ガン宣告を受けてショックで泣いたりする話を聞いていましたけど、私は意外と冷静で『抗がん剤、嫌だな』と思いました。

そして先生に『吐き気が出ないように何とかしてほしい』とお願いすると、『今の薬はほとんど出ないですよ』と言われてホッとした記憶があります。もうなるようにしかならないという気持ちがどこかにあったんでしょうね」

 

とはいえ、女性にとって卵巣摘出というのはデリケートな問題です。50代半ばに達したと言っても、思い悩む人がほとんどでしょう。ただ、彼女は40代半ばで子宮筋腫を患い、子宮全摘を経験していました。

 

「子宮がなかった分、不正出血や出血量の増加などの現象も起きなかったですし、子宮がん検診にも行く必要がなかったので、それで発見が遅れた部分はあったかもしれません。年齢的にも閉経していてもおかしくない時期だったので、その悩みはありませんでした」

 

それより大変だったのは手術前の検査。ほぼ毎日、病院で検査を繰り返し、胸の方まで広がっていることが判明。最初の診断結果は『腹膜ガンのステージ4』で、原発巣を調べて卵巣ガンに辿り着きました。

 

「細胞をアメリカに送って分析してもらった結果、抗がん剤効果の高い陽性だったので、『山野さんの場合、抗ガン剤がよく効くと思いますよ』と先生に言ってもらえた。その言葉が心強かったですね」

 

医師の力強い言葉に勇気をもらい、治療に向かいました。

 

職場で、病気の話を包み隠さずオープンに話そうと決めた

手術は年明けの1月。それに向け、人事部の上司とチームのメンバー20人に事情を包み隠さず話すことにしました。がんを患った知人が職場に隠して治療した結果、あまりよくない話を聞いていたため、「自分はオープンにしよう」と決意したからです。

 

こういう話ができる雰囲気がDMMの職場にはあると山野は感じていました。

 

「自分からは『働けるときはちゃんと働くし、ダメだと思ったら休職するね』とハッキリと伝えました」

コロナ禍で全社の80〜90%がリモートで勤務していたこと。また、DMMはフレックス制を導入しており、通院や治療の時間調整がしやすい就労環境であったことも奏功しました。

 

実際の手術自体は内視鏡だったため、迅速に進み、わずか5日で退院。2月から抗がん剤治療が始まりました。3週間ずつ7回という形で期間にすると約半年に及びました。

 

入院中の病室の様子

 

「最初の3日間はそれほど辛くなかったんで、『これならイケそうかな』と思っていたら、4日目くらいからドーンと来ました。病院の食事が喉を通らなくなり、副作用で便秘になったことも重なって、余計に食べられなくなった。1週間で5キロも体重が落ちました。お風呂に入る時、鏡に映った自分の体が老人のようになっていて、そのことで衝撃を受けましたね」

 

それでも『ヨロヨロでもいいから病院を出た方がいい』と判断して退院し、抗がん剤治療の人が何を食べているのか検索したところ、「アイスクリーム」がヒット。

 

「一口食べたら、そこから食欲が戻ってきました。自分の場合は抗がん剤投与3〜5日目に副作用が出て、だんだん収まってくるということで、急に体力も回復してきたんです」

 

会長から全社員に贈られる毎年の誕生日プレゼント 治療中、味覚障害でも美味しく食べることができた



 

会社と一緒に模索した副作用のサイクルと「自分にとってベスト」の働き方

 自分のサイクルが分かった後は、2度目からは副作用に備えられるようになりました。

 

「上司には『寝込むほどではないので頑張ってやります』と伝えましたけど、だるいはだるい。そこで3回目から15分ほどの昼寝時間を設けたところ、かなり体が持つようになりました。

みんなに癌だと話をしていたからこそだと思うのですが、ケアしてくれて残業はしなくて良いように組んでもらうことができました。

さらに、夜も早く寝るというサイクルを作りました。髪の毛も抜けましたが、帽子を20枚くらい購入して被っていました。外部の方とお目にかかる時だけはウィッグでしたけど、何とか半年間を乗り切りました」

 

ウィッグを付けて外出/キャップコレクション


抗がん剤終了後は数値も回復。その後も飲み薬を服用しつつ、3カ月に1回の検査を続けていますが、今のところ異常はありません。胸部のガンは完全に取りきれたわけではありませんが、普通に生活も仕事もできているそうです。

 

「抗がん剤の2回目の時から、普通に働いています。周りも働ける時は、頼ってくれるし、今はちょっと忙しすぎるくらいで、私、一応病人なんだけどなーと(笑)。

先生も『働け』と言ってくれますし、仕事をしていた方が闘病生活を忘れますからね」

 

そういった中でも「イザという時には休める」という、周りのサポートや安心感は闘病生活を続けるうえで非常に大きなポイントです。

 

会長や役員が率先して多様性を受け入れる風土

また、一人の役員の方に『こういう状況になってすみません』とお詫びしたところ、思いがけない言葉がありました。

 

「目標達成のお手伝いができないかもしれないと山野さんは言うけど、やっぱり一緒に達成したいです。治療頑張ってください」

 

この役員の方とは病前から、主軸事業の一つをさらに大きく成長させるために人事として採用や組織設計の面で尽力するという目標を持って業務にあたっていました。その大きな目標を達成するために治して一緒に頑張ろうと言ってくださった。これには涙がこぼれましたね」

 

50代半ばの彼女は昭和末期から働き始めた世代。時代的には「病気になったら即戦力外」という価値観が横行していました。でも、DMMでは昔から声を上げやすい環境があったと言います。

 

「DMMでも出産・男性育児休暇などに対する理解が進みましたが、もともと女性が声を上げやすい環境だったのは確か。会長は昔から女性に対してすごく理解がある。もっと言えば、女性だけじゃなく人にはそれぞれ事情があるけれど、そういった個々の多様な状況に対して受け入れる土壌があると思います」

 

 

弱さを隠すのではなく時に弱さをさらけ出し、辛い時は支え合えばいい

 

現在は、人事という職種を活かし、病と闘う従業員のフォローにあたっています。

 

「私自身、『仕事を続けてよかった』と心底感じているので、同じ境遇の人たちにもそれぞれ自分の方法を見つけて仕事を続けるよう、アドバイスしています」

 

仕事と治療を両立させようと思うなら、周囲の人々とのコミュニケーションは不可欠です。精神的に落ち着いた状態でいられた方が回復は早いはず。自身の症状を公言し周囲の理解や助けを得ながら闘病してきた当事者だからこそできるサポートといえるでしょう。

 

「お休みされる方は誰しも不安なもの。そういう方には『弱さを隠すのではなく時に弱さをさらけ出し、辛い時は支え合えばいい』と伝えています。また、病気だけでなく介護や子育て、人生には働くことが難しくなるタイミングが訪れることもあります。会社として、福利厚生や制度をもっとテコ入れして、働きやすい環境を作ることも必要ですから、どんどん制度を充実させていきたいですね」

 

 どこまでも、しなやかに逞しく――病と向き合い、自身に合ったやり方を模索し、会社や仲間とともに乗り越えてきた山野。

 

 「環境に胡坐をかいちゃいけないという気持ちもあります。『病気だから大目に見てよ』みたいなことは言っちゃダメですし、ダメならダメ、やれるならやれると意思を明確にしないといけない。それが会社にとってもプラスになりますからね。これからも、そういう部分を大事にしながら、働いていきたいです」

 

趣味のバイクで北陸を疾走!

 

取材・執筆/元川 悦子  撮影/小竹 和樹