代表交代は新しいフェーズに進むための最適解
突然の話で驚いています。いつ社長交代したのですか。
山木:6月1日から新体制として運営を開始しています。5月末には社内全体会議でその旨を発表しました。
じゃあ飯野さんの現在の肩書きは……
飯野:無いです。部外者ですね(笑)それは冗談として、私は創業者として常に企画や開発の最前線で活動してきました。初めて作ったのは消防自動車の軽量ルーフで、その後も様々な開発を続けてきました。特に「広い、揺れない、使いやすい」をコンセプトに、3年かけて開発した次世代救急車C-CABINは2022年から量産を開始し、すでに8つの自治体の消防局や消防本部、5つの病院で導入いただいております。そうした開発が一段落し、次の挑戦を模索する中で、今回の選択となったわけです。
更に進化した救急車を開発することは考えなかったのですか。
飯野:もちろん、新しく出来た救急車は常にブラッシュアップする必要があります。しかし、そもそも私は消防業界だけに特化して事業を行いたいわけではなく、常に新しいことにチャレンジしたい気持ちがありました。
ゼロからイチを立ち上げる、既存の壁をブレイクスルーする、それが自分の性にあっていると?
飯野:その通りです。具体的に何をするかは模索中ですが、社会の課題を解決することが自分のモチベーションになるので、テーマをしっかりと決め、解決策を探していこうと考えています。
ベルリングのフェーズが変わったことも社長交代のきっかけになりましたか。
飯野:それはありますね。企画や開発の後には製品を洗練させるフェーズになります。この時期には、プロダクトをマーケットに合わせる作業が必要となりますが、正直、私は得意ではない部分です。
プロダクトをマーケットにフィットさせるとは?
飯野:私たちが開発した救急車は「広い、揺れない、使いやすい」というコンセプトです。これに現場の声を取り入れて、さらに配置や機能を最適化し、使いやすくするということ。つまり、より洗練させていく作業です。
そのフェーズを牽引する人物として、山木さんが相応しいと。
飯野:そうです。山木はベルリングの営業から生産まで幅広い領域を見てきており、ファウンダーの1人でもあります。DMMグループから代表を迎え入れるということも考えましたが、私たちのカルチャーや歴史、そしてお客様からの期待やイメージを継続して現場に伝え、製品に落とし込んでいく役割は、山木が最適だと判断しました。
一度は断った社長就任への打診、その真意とは?
飯野さんと山木さんは、元々どのような関係なのでしょうか。
飯野:山木は私の1歳下で、中学時代の野球部の後輩です。私は外野手で、山木はキャッチャーでした。
山木さん、ベルリングに参加した経緯を教えてください。
山木:大学卒業間近に飯野さんから「会社を立ち上げたから一緒にやらないか」と誘いを受けました。しかしすでに就職先が決まっていたので、そのときはお断りしたんです。しばらく経って、また飯野さんから連絡がありました。話を聴くうちにベルリングで働く魅力を感じたため、就職先の不動産会社を約半年で退社し、ベルリングにジョインすることを決意しました。
せっかく就職したのに、思い切りましたね。
山木:入社した会社には何の不満もありませんでしたが、新しいことに挑戦してみたいという気持ちを押さえられなかったのです。入社3か月後に飯野さんから「どう?」と電話があって、いろいろ話しているうちに気持ちが揺らぎました。
飯野さんの粘り勝ちですね。なぜそこまで山木さんにラブコールを?
飯野:彼は体力があり、私とのコミュニケーションもスムーズでした。創業時の大変な状況でも乗り越える力を持っていると感じたからです。
それを聞いて、山木さんは自分をどのように分析していますか。
山木:一度決めたことは最後までやり遂げるタイプだと思います。ベルリングでは最初営業の仕事に就いたのですが、その強みは存分に発揮できたと思います。
消防車や救急車の営業は、前職の不動産の営業とは違うので大変だったと思いますが、どのように乗り越えてきましたか。
山木:私自身が若かったこともあり、最初は担当の方に相手にしてもらえないことが多かったです。そのため、お客様の信頼を得るところから始める必要がありました。例えば、相手が消防本部さんの場合、最近導入された車や、その本部がどのような規模や地区で活動しているのか、そういった情報をきちんとリサーチしてからアプローチをするようにしていました。
どのような経緯で社長交代を切り出したのですか。
飯野:仕事で台湾に行ったときのことです。提携先での会議中、日本からの電話で私が30分ほど離席したのですが、戻ってみると山木がホワイトボードを使ってしっかりとファシリテーションをしていました。その姿を見て「彼なら大丈夫だ」と確信。さっそくその夜、宿泊先のホテルで話を切り出しました。「社長の役割をあなたに譲りたい」と。しかし彼は「イメージできない」と即答して断ったのです(笑)。
山木さんは、その時どういう気持ちだったのですか?
山木:突然の提案にただただ驚きました。自分は飯野さんの補助役だと思っていたので、正直代表になることを想像できなかったのです。
結果的に社長を引き受けたわけですが、どのような心境の変化が?
山木:日本に戻って改めて周りを眺めてみると、自分がいかに小さな世界しか見ていなかったかが分かりました。その視点で、私自身の成長や会社の未来を考えてみたところ、代表としての役割を受け入れることがベストな選択だと思い至ったのです。
創業者・飯野が語る、新社長・山木の強みと魅力
社長になって2ヶ月。率直にどんなお気持ちですか。
山木:やはり、やることがたくさんありますね。営業一つを取っても、戦略や方向性については、飯野さんが中心的な役割を果たしていました。しかし現在は私がその部分をしっかりと固め、進める必要があると実感しています。
今後の販売フェーズの展開について、具体的にどういった予定がありますか。
山木:とにかく次世代救急車C-CABINの量産と販売を加速させます。私たちの拠点が関東にあるため、近隣の病院や消防署にしか十分にアピールできていませんでしたが、今後は全国展開を視野に入れ、営業体制を強化していきたいと考えています。さらには、救急車の運転に特化した運転講習のようなものを実施し、製品の特性や利用方法を体感してもらうことも考えています。
全国展開を進める上で、人材や支社の増設など具体的な計画はありますか。
山木:現在、営業のメンバーを少しずつ増やしています。今後3年間で、各県に1社ずつの販売店を設立したいと考えています。
飯野さんは、山木さんに対してどのような期待を抱いていますか。
飯野:山木の良さは、営業と生産の両方を理解している点です。生産しか知らない人は、営業が向き合っている現場の感情やニーズを理解できず、製品がマーケットフィットしないことがあります。逆に、営業志向が強すぎる人は、取引先の要望に過度に応えるあまり製品が複雑化し、受注は増えても量産が難しくなることがあります。山木は両方の経験があるので、そのバランスをうまく取れると期待しています。特にC-CABINは生まれたばかりの子どものようなもの。あせらずじっくりと育てていってほしいですね。
山木:製品自体には絶対の自信がありますので、これまで培ったブランドイメージを崩さず、販売と生産を両立させていきたいと考えています。
最後に、お互いにエールを送り合っていただけますか。
飯野:私はベルリングを通して、人々の命を助けるための製品を作ることに非常にやりがいを感じてきました。その精神をぜひ山木にも受け継いでほしいと思います。
山木:私にとって飯野さんは20年来の頼れる先輩です。この関係をこれからも維持できればと思います。そして、いつかは飯野さんを超えたいですね。
お二人とも、今後の活躍を楽しみにしています。
飯野・山木:ありがとうございます。
(取材・文 いからしひろき、撮影 髙野宏治)