教育、水族館、サッカークラブ。——領域の異なる50以上の事業を展開するDMM.comで、ほぼ全ての事業を管理・掌握している最高執行責任者(COO)村中悠介。 連載「建前なしの事業部談話」では、村中が各事業部の事業部長(メンバー)と対談。事業運営の実情について、建前なしで赤裸々に語っていきます。
今回は、EC&デジタルコンテンツ本部長の山本弘毅が登場。堅実な成長をつづけ、2020年度の売上が1,000億円を突破した同本部。成長を牽引してきた山本のユニークなキャリア思考と事業戦略に迫ります。
バックパッカーから、IT業界へ
山本さんは、社員番号13番で、DMMグループの中でも特に古株のメンバーのお一人かと思います。当時はどういった経緯でDMMグループに入社されたのですか?
山本:大学を卒業後、バックパッカーとしてヨーロッパや北アフリカを1人で放浪していました。中でも地中海にあるマルタ共和国に長期間滞在して、語学学校に通ったり、現地の日本食レストランで働いたりもしました。23歳の頃に帰国して、世界中どこでも伸びていきそうなITの世界で働きたいと思い、見つけたのがDMMでした。
村中:当時、DMMは求人募集をしていなくて、結局グループ会社に入ったんだよね。IT企業は他にもあったと思うけど、どうしてDMMだったの?
山本:私が注目したのは、「将来伸びそうだった点」と「社員数の少なさ」です。大きい会社に入ると、社内の競争相手が多くて、目立った成果を出すのは大変じゃないですか。でも小さな会社だと、頑張って働いて会社がどんどん大きくなれば、社内でも立場が上がって色々なチャンスが巡ってくるかもしれない。そんなことを考えながら、社員数がまだ少なくてかつ今後伸びそうな会社を探していて、ピッタリ当てはまったのがDMMだったんです。
村中:競争相手が多いシチュエーションを上手く避けて、独自のキャリアパスを切り開いてきているよね。そもそも一般的な大卒のタイミングで就職活動してないし、DMMに入ることを目的にグループ会社に入社することも、なかなかできることではないよね(笑)。
山本:グループ会社の採用面接で「DMMに移れますか?」て聞きましたからね(笑)。でもそこから簡単にDMMに移れたわけではなくて、まずはコツコツと目の前の仕事に取り組むことから始まりました。
村中:DMMに入るために、最初はDMMとは遠い仕事を一生懸命にやったってことだね。
山本:はい。そんな中、あるときDMMのグループ内公募で求人が出て、そこでDMMへの移籍を実現することができました。ただ公募が出る前も、グループ会社対抗のフットサル大会で村中さんに積極的に話しかけて顔を売ったりと、DMM側へのロビー活動はぬかりなくやってました(笑)。
村中:その辺は昔からあざといよね(笑)。でも、もともと求人ゼロ=「競争相手が存在しない領域」を切り開いて、結果的にポジションを掴んでいるわけだから、戦略勝ちしていると思うよ。
グループ会社からDMMに移られてからは、どういった仕事をされていったんでしょうか?
山本:ここも「競争を避ける」話につながるんですが、まず実力差のある先輩社員と役割が被らないような方向に頑張ることを意識しました。亀山会長や村中さんなど、センスや経験では敵わない「怪物」がDMMにはたくさんいたので、同じ方向で彼らと戦っても勝ち目はないなと察したんです。だったら、社内で今足りてない役割やポジションはどこだろう?と探していく方向にスイッチしました。
山本:当時、社内の“すごい人”は、営業でガンガン売上をつくってくるような「攻め」のタイプが多かった。その一方、細かく数字を管理したり、地道な部分で改善をしていく「守り」のポジションが手薄でした。私も職種は営業でしたが「守り」に転向しようと思い、仕事のスタイルをまるっきり変えたんです。
村中:当時のエピソードでいうと、民主党政権時代の事業仕分けの配信が象徴的かな。蓮舫さんの「2番じゃダメなんですか?」で有名なやつだけど、あれを実はDMMでネット配信していたんだよね。
山本:そうですね。村中さんから「内閣府が配信事業者を公募してるから、応募しておいて」と電話をもらったんですが、募集要項を見たら応募〆切はその日の夕方...。残り数時間しかない中で、大急ぎで資料をつくり上げて提出し、その後に内閣府までプレゼンしに行き、なんとか無事に配信まで漕ぎ着けました。村中さんの無茶苦茶な「攻め」を、必死に守ったエピソードですね(笑)。
私はどちらかというと「選んで行動する」癖があるので、村中さんの「思い立ったら即行動」の精神で、スピーディーに動いて仕事の結果に結びついた経験は、とても刺激になりました。
村中:「なんでもすぐ行動してみる」というのは、昔から大切にしていることの一つかな。プライベートのエピソードでいうと、仕事終わりに「富士山行こう」て誘って、社員皆んなで登山したこともあった(笑)。
山本:金曜の夕方からスーツ姿で富士山に向かいましたね(笑)。しかも登山経験者が1人もいないから、山小屋の存在すら知らずに、あまり休まないで登ったのを覚えてます。
「事業仕分け」も「富士登山」も、思い返すと無茶苦茶でしたけど、でもそんな大胆でアグレッシブな行動力が、今のDMMの「なんでも挑戦する」カルチャーにつながっている気がします。
定年まで安心して働ける場所にしたい
事業のお話も伺いたいのですが、改めてEC&デジタルコンテンツ本部は、どのような組織なのでしょうか?
山本:動画配信や電子書籍などデジタルコンテンツを扱う、総勢500人ほどの本部になります。DMMグループの中でも歴史の長い組織で、石川県にも拠点があります。
村中:DMMグループ全体で売上2,340億円(2020年2月時点)という数字を公表しているけど、その中でも半分弱の割合をしめる一大事業群だよね。歴史は長いけど、まだまだ成長の伸びしろを感じる。
山本:売上はまだまだ伸ばせると思ってます。今の本部制になった2018年度に「5年後の2023年度に売上1,000億円突破」を目標に掲げていたんですが、3年目の2020年度にはクリアできました。今は「2025年度に売上1,500億円」を目標に掲げています。足元の数字は好調ですね。
村中:売上を着実に積み上げていくために、山本なりに意識しているポイントや戦略はあるの?
山本:マネジメントでいうと、上述の売上目標のように、定量的なゴールと、それに対する期限を明確に定めることを大切にしています。そして、ゴールをどう達成するかのやり方については、より現場に権限移譲して任せていくことを目指してますね。
事業展開でいうと、最新のデバイス対応や技術活用をいち早く抑えにいくことを重要視してます。あまり知られていないかもしれないですけど、たとえば「スマホで動画を購入して、テレビ画面やPC画面で見る」という機能を実装したのは、実はDMMが日本企業で初めてなんです。月額サービスでは他社もありましたけど、動画の単品販売の話ですね。
他にもいろいろな「日本初」の試みを、これまで実現してきました。例えば昨年で言うと、PlayStation5とOculus Quest2が発売されましたが、この二つのデバイスに対して発売日にアプリをリリースした日本企業はDMMだけですしね。
村中:これって、DMMが業界内で圧倒的なユーザー数を誇るトップランナーだからこそできる「王者の戦い方」だよね。ユーザー数のアドバンテージを活かしながら、次の新しい技術やデバイスでのトップポジションも、最初の段階で一気に取りきってしまう。他のプレイヤーの巻き返しのチャンスを最初に潰すわけだから、ある意味これも「競争を避ける戦略」だよね。
山本:最近でいうと「VR動画」も、この戦略で当たりましたね。競争の激しい局面を避けて、戦略的に立ち振る舞っていく部分は、たしかに僕のキャリアパスにも通じる点かもしれません。
これからも日本最大級のユーザー数に対して、最新技術を積極的に活用して「日本初」の試みをつくっていくので、ビッグデータの領域ではかなり面白い経験ができると思います。最新技術に感度の高いエンジニアの方には、ぜひ注目してほしいですね。
最後に、中長期的なスパンで「DMMはこんな組織になっていってほしい」という理想像があれば、お聞かせください
山本:一言でいうと、従業員が定年まで安心して働けるような場所にしたいです。トレンドも人の動きも激しい業界ですけど、その中でも定年退職者が次々と出るような、歴史のある会社になると良いなと思います。
村中:大企業の良い部分は踏襲しつつ、ベンチャー企業のようなスピード感と新しい挑戦も兼ね備えた組織にしていきたいね。
山本:あとは、本部として「チームプレイ」をバリューの一つとして掲げているんですが、個人プレイではなくチームプレイで成果を発揮できる人に来てほしいですね。ビジネスメンバーもエンジニアも、分け隔てなくお互いにリスペクトして、チームの総合力でこれからも事業を伸ばしていきたいと思っています。
EC&デジタルコンテンツ本部は、BtoCのビジネスモデルのサービスが多い本部なので、ユーザー・取引先・従業員の皆んながハッピーになる、三方良しの状況を常に目指していきたいです。
構成:柴崎研 写真:高山潤也